NECESSARY EVIL

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結城友奈は勇者である 勇者史異聞 芙蓉友奈は語部となる 第6話 感想

 

 

ビジュアルオーディオドラマの感想です。


芙蓉友奈は語部となる(第6話:What will be,will be.)

第6話→芙蓉友奈は語部となる 第6話

作品について→G'sチャンネル コンテンツページ

[著者] 朱白あおい

[キャラクター原案]BUNBUN [イラスト]かんの糖子 

[あらすじ](6話)

本作は初代勇者たちの大戦から約30年が経ち、平穏が戻りつつある世界が舞台。リリが柚木を勧誘して、隠された世界の真実を探究する「勇者部」を立ち上げた後の物語です。  瑠璃の出した条件をクリアした勇者部の3人は、ついにリリの母の日記を受け取ります。そこに綴られていた想いを、リリは受け止めようとするのですが……。(G'sチャンネルより)

 

 

 

 

今回で最終話となる、第6話がついにやってきました。

前回は、勇者部のプロデュースと称して柚木とリリを萌え萌えにし、すずがプロデューサーとしての承認欲求を満たすという面白回でした。

改めて5話を簡単に振り返りますと、

【藤井瑠璃は、バーテックス襲撃当時、高嶋や茉莉と共に避難してきた少女だった。避難民互助団体に所属し、そこでリリの母と知り合うが、やがて離れ離れとなる際、別れの前に彼女から日記を託されたという。瑠璃は、娘に日記を見られたくないリリの母と、日記を見たいというリリの双方の意思を汲み、日記を見せるための条件として、高屋神社へのお百度参りを課す。リリは、柚木やすずと共に、お百度参りに挑むのだった。】

という感じです。

 

さて、謹んで最終話を拝聴しましょう。 

 

 

 

前回に引き続き、高屋神社へのお百度参りに挑戦中の勇者部3名。

以前のようにへばり倒すこともなく登り続けるリリに関心するすず。柚木は、そんなリリの努力家なところを認めており、自分が参加する前から奇異の視線に晒されながらも勇者部を立ち上げ活動してきたリリを評価する。

そして当のリリは、登りながら、母へ思いを馳せていた。バーテックスの襲来に遭い、家族を失い、異国の地で苦しみに堪え、病に伏した母。それでも、暗い日々を前向きに生きた母。

 

そうしてお百度参りを終えた勇者部は、再び瑠璃と会う。

やり遂げたことには驚くことはなかったが、その早さに驚いていた瑠璃。

なぜこんな課題を出したのかとすずが問うと、瑠璃は、日記を読んで考えて欲しいとリリに告げる。

 

その日の夜、リリはついに母の日記を読むこととなる。

才色兼備な母のイメージとは違い、綺麗な字で書かれていないことに驚く。それゆえ、やはり母のことを何も知らないと感じるリリ。

リリは、日記を読み始めた。

 

『2月20日ー今日から日記を書きはじめることにした。日記をつけることは、心の安定を保つために有効だと言う。互助会の友人の勧めだ。......』

最初の日記はそのように始まり、そして、リリ母は「自らの愚かさ」について記し始めた。

 

自らの傲慢さ、親不孝。いとこと旅をして回ったこと。旅の中で人の優しさに触れたこと。

日本での旅の途中、バーテックスに襲撃されたこと。四国外の日本も、海外も、すでに壊滅しているであろう予感。

『――――私たちは狭いかごの鳥となり、家族と離れ離れになった。』

『ついさっきまで親切だった人々は、次々に、その優しさをかなぐり捨てた。』

『私は、勘違いをしていたのだ』

旅行中の「通りすがりの他人」だから優しくされる。資源の限られた自分たちの世界に踏み込んでくる「居候」には優しくするはずもないと気づくリリ母。

いとこはやがて、絶望感に押しつぶされて自殺し、誰にも弔われず焼かれていった。

リリ母は孤独となり、苦痛、偏見、迫害に遭った。

『私が結婚し、家族をつくったのは、孤独を紛らわすためだったのかもしれない。――結局、なにも変わらなかったけれど』

 

『2月23日。起き上がれない。』

もともと身体の弱いリリ母は、ストレスにまみれ、数ヶ月間もそのようにいた。

 

『3月10日。何も書くことがない。』

『3月20日。こんな世界、730天災で滅びれば良かったのに』

『3月30日。まもなく子どもが生まれてくる。私はこの子を、愛せそうにない――

 

勇者部の活動日。その日、リリは浜辺にいた。リリを探し、やってくる柚木とすず。

リリは、その心情を吐露する。

自分の知っている母と、日記から知る母の姿との違いへの恐ろしさ。

強くて優しいはずの母と、ひどく弱くて周りをただ憎んでいた母。

リリ「それにたぶん、私のことも好きじゃなかった...」

強く否定するすず。怖くてこれ以上は読み進められないというリリ。

柚木「まったく…お前は臆病なところは変わらないな」

  「お前を嫌ってたら、いつもお前の前で明るくできるわけないだろ?」

  「お前が見てきたものが、お前の母親だ」

すずと柚木は、一緒に読み進めようと提案する。リリは、共に読み進めることにした。

 

『5月5日。数年ぶりに日記を開いた。今日は娘の4歳の誕生日だ。』

リリ母は、芙蓉「友奈」の名が、大赦から与えられたものだと言う。

そして、この未来も希望もない閉ざされた世界・時代に生まれ、避難民の娘として謂れのない批難を受けるだろうリリを哀れんでいた。

 

『6月9日。夜に泣いているところを、友奈に見られてしまった。』

泣いている理由を問う友奈に、何も答えられなかったリリ母。

母の頭をなで「痛いの痛いの飛んで行け」と、自分なりに母を思いやるリリ。

リリ母は、優しく育ってくれたことに涙した。希望もなく千辛万苦に満ちたこの世界も、リリのおかげで少しだけ輝いて見えた。

 

『10月29日。病院で検診を受けた。以前から持っていた病が、最近また悪化してきているらしい』

『2月13日。今回は短い期間で退院できたが、またいつ容態が悪化するかわからないそうだ』

この病気が自分の娘にも遺伝していたら。もし自分がこの病気で命を落としたら。リリ母は、自分の病気がもたらす娘への影響に大きな不安を抱いていた。

 

『3月9日。古来、日本には百度参りという文化があるらしい。』

リリ母は医者に内緒で、高屋神社への百度参りを決意した。

自分がいなくなった後でも、娘が幸せに生きていけるように。

 

『5月28日。30回目。百度参りを始めて2ヶ月以上が経った。』

『――今まで参拝の途中、何度も倒れそうになり、その場にいた人に助けられた』

『――私は本当に、自分の愚かさに気づいた。』

リリ母は、気づいた。天災後の人々が優しさを失い、醜い本性を現したと思っていた。しかし、避難してからこれまでに、多くの人々の優しさに救われてきた。

『他人の優しさに目を向ける余裕が、私にはなかっただけ。天災で変わったのは私だった』

『この日記は、友奈には見せられない。私の醜さと、脆さで満ちている』

 

『9月27日。67回目。身体が重い。体調の悪化が激しい。』

『2月19日。81回目。途中で脚が動かなくなり、参拝に4時間もかかった』

 

『9月1日。98回目。今日で、私のお百度参りは終わりのようだ』

長期入院を経たリリ母は、自力で歩けなくなっていた。

『100回の参拝はできなかったけど、神様は、願いを叶えてくれるだろうか』

『友奈。生まれたときは、この子を愛せないだろうと思った』

『でも今は、この世界がどんなに辛くても、この子がいてくれれば、私は笑顔でいられる』

『私がいなくなった後の世界で、この子はどのように生きるのだろう』

『どうか、こんな世界でも、あなたが幸せに生きてくれますように』

『私があなたという宝を見つけられたように、この狭い世界でも、あなたの宝物が見つかりますように』

『――そう願う』

 

すべてを読んだ3人。そして、高屋神社へのお百度参りの意味を知った。

母がやり遂げられなかったことを娘のリリが受け継いだ、と。

日記を最後まで読めたことに感謝するリリ。なぜリリ母がリリの前で明るく振る舞っていたのか、それを知ることができた柚木。

明日の勇者部の活動について尋ねるすず。リリは、四国巡りを提案する。神世紀30年の四国を知ること。すずも柚木も、賛同した。

 

帰りの電車の中で、すずはリリ母の日記に思いを馳せる。

勇者だけでなく、すべての人間が、この世界を懸命に生きてきた。すべての人間がこの世界の主役で、願いと思いを抱えて生きていた。

 

帰りの道で、柚木も思いを馳せる。

閉じられた世界と今に至るまでに人々が生きてきた時間。柚木は、母と話をしようと思った。

 

2人が去った浜辺で、リリも思いを馳せる。

将来この世界がどうなるかはわからない、自分がどうなるかもわからない。その中で、自分はただ生きていく。母が自分の幸せと、人生の宝物を見つけることを願っていた。そしてリリは、柚木やすずという仲間を得た今が幸せだ。

 

 

以上、6話でした。

もはや、百合だなんだと盛り上がる余裕もないくらい、感涙ものでした。もちろんこのシリーズなので、重厚なストーリーを生み出す可能性はありましたけど、ここまでの重厚感のある最終回になるとは思っていませんでした。まして、他系列作品に比べれば、いくらかシリアスの少ないふゆゆ時空ですからね。

杉山さんの気持ちがよくわかります。

 

芙蓉友奈という人物を作り上げるに欠かせない存在でありながら、あまりスポットの当たりきらなかったリリの母親。今回、リリとの関係性や時代背景と合わせ、しっかりと描かれましたね。いや、むしろ、リリや時代背景に焦点を当てるための存在だったと言っても過言はないでしょうね。リリというキャラクターを掘り下げるために重要なのは当然としても、時代背景という部分でも重要でした。

のわゆ時空あるいはかくみ時空では、リリ母の言うところの「優しさをかなぐり捨てた」人々の行動が顕著で、それに対する救いもなく、もっぱら勇者と巫女と一部一般人の良心だけで成り立っていたような状況でした。

一方、今回のふゆか時空(ふゆゆ時空)においては、リリ母が晩年気づいたように、人々にはいくらかの優しさが戻っていたことが見受けられました。

こういった描写は、単に「西暦はひどかったね。神世紀300年はまだ良かったね」で終わらせることなく、リリの願いがそうであったように、西暦と神世紀を繋いでいくための重要なパーツになっていると思います。

 

最終回ということもあり、作品全体にも触れてみます。

この作品のテーマの1つ、「730天災を知らない人たち」というところを考えると、730天災の象徴的存在でもあるリリの母と、天災を直接知らない時代の象徴的存在になりうるリリの2人で、大体のことは描かれていました。そこに、当時の勇者と直接関係性のあるすず、そんな2人と数奇な出会いをした柚木も加わり、彼女たちは彼女たちで、新時代を生きる子どもとして、西暦と神世紀を結びつけることになっています。物語とはそういうものですが、最終回を経て綺麗にまとまったと感じます。

 

もう少し俯瞰で見ると、勇者シリーズには珍しく戦闘行為ゼロの作品ですが、キャラクターたちはこのシリーズのキャラクター然としていて魅力的でしたし、そういった点でも全体的に勇者シリーズらしくて、楽しめました。柚木くんもデレてくれましたしね。

 

 

というわけで、この『芙蓉友奈は語部となる』も終わってしまいました。

こういった形でも、作品が新展開を見せてくれたことに、改めて感謝します。

それと同時に、いよいよ本格的にこのシリーズも終わってしまうのかと思い、不安です。

もっとわずかでも良いので、新展開を、期待し続けることにします。

 

 

 

以上

 

 

 

 

 

伊吹柚子(Ibuki Yuzu) とりあえず、観音寺スタンプラリーを待っています。